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2020年6月13日 (土)

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)が引き起こしたパンデミック後の世界は「ニューノーマル」ではなく『社会変容2.0 または Social Transformation2.0』となる

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大(パンデミック)により人々の行動は抑制され、街中の経済は停止してしまいました。そして、この外出制限により新規感染者数がある程度のレベルに抑えられてくると、今度は、人々の生活の糧を得るためにも経済再開に向けた動きが急がれるようになりました。しかし、この新型コロナウイルスの怖しい性質は、無症状のうちに感染するということであり、発症前の元気な感染者が街中を歩き回り、感染が顕在化することなく拡大していくということです。そして、感染拡大が収束したように見えても、このウイルスは市中にしたたかに生き残り、北半球から南半球、そして南半球から北半球へと感染拡大していきます。そして、世界中で感染拡大と収束を繰り返しながら、各地に第二波、第三波となって襲ってきます。

 このパンデミックの終息に至るまでには、①集団免疫を獲得する、②ワクチンを開発する、③ウイルス自体が弱毒化し感染力も低下する、という3つのシナリオが描かれますが、いずれにしても、終息までには長い時間がかかると考えられています。そこで、経済再開に向けて、感染拡大の最初の頃には、巷では、しきりにポストコロナやアフターコロナという言葉が使われていましたが、ウイルスの正体が明らかになるにつれ、ウイズコロナという言葉が使われるようになってきました。

 このパンデミックを経験したことにより、人々の思考や行動様式は大きく変容すると考えられています。それが、ニューノーマル(新常態、日本政府の示している新しい行動様式ではない)と言われているものです。しかし、(1) パンデミックが終息する(ポストコロナ、アフターコロナ)という前提に立つのか、ウイズコロナであるのか、(2) 短期(1年程度)で終息するのか複数年に跨いで影響を受けるのか(すなわち、終息後は全てが元どおりの状態に戻り得るのか)、(3) それとも全ての人類が経験した苦悩であり、社会システムも経済発展の理論もその全てが変容してしまうのか、によってその意味は異なってきます。今、世界の人々の間で言われているのは、(3)の意味で使われているものと思われます。

 それでは、ニューノーマルとはどのようなもの(こと)なのでしょうか。それを一言でいえば、人々は、場所にも、時間にも拘束されずに生きていけるということです。近代化以前の社会では人々は土地(生まれた土地、住みついた町)にしがみついて、そこで一日を過ごして生きていました。近代化以降の社会では人々は大量生産・大量消費の暮らしを実現するために、朝から職場に出かけて仕事(作業)をしなければなりませんでした。夜の帰り道、あるいは、週末になって、生活必需品を買うために商店やスーパー等に出かけなければなりませんでした。ニューノーマルの社会では、全てがオンラインで行うことができ、それが生活の普通の出来事となります。わざわざ会社に出社する必要もなく、買い物にも出かける必要もなくなります。逆に、親しい人や同僚と意思疎通を図るために出かけたり(対面して話すこと)、気晴らしにショッピングにでかけたりすることが特別の出来事になります。

 都会に住もうが、野山に囲まれた田舎に住もうが、生活をする上で必要なサービスはオンラインにより同等に受けることができます。通勤のための大量輸送の交通手段は必要がなくなります。都会に固定費の高いオフィスを構える必要もなく、狭いのに費用のかかる住宅に住む必要もありません。社会全体として、企業経営や個人の暮らしの中における固定費に割合が減少し流動費の比率が高まると、日銭のためにあくせく働く必要もなくなります。人々の活動の選択肢は増大し、より創造的な活動、社会に貢献できる活動、文化的活動に時間や労力を割り当てることができるようになります(そうした活動自体もオンライン化していきます)。

 エッセンシャルワークの技術革新も進み、バックグラウンドでの仕事は自動化と効率化が進められていきます。現場作業の負荷もロボットの導入などで軽減されることになりますが、最終的には人間のその場での臨機応変な対応力が必要になります。エッセンシャルワーカーには現場の知恵が蓄えられ、今以上に貴重なものとなっていきます。

 ところで、ニューノーマルという名前についてですが、リーマンショック後の世界においても、ニューノーマルが提唱されました(米国のエコノミスト、モハメド・エラリアン氏が提唱したと言われています)。金融機関の破綻を防ぐために公費が投入されて金融市場にお金がたくさん供給されることにより、結局は、経済格差が拡大するばかりの社会になってしまいました。今回のパンデミックにおいても、各国の中央銀行は、企業の資金繰りを救済するために銀行に対して無利子での融資を促すように様々な形で支援し、また、国民の生活を支援するために国が発行する国債を購入しています。人類の歴史においてパンデミックは社会の変容を引き起こすきっかけとなってきました。今回のパンデミックでは、真のニューノーマル(社会システムも経済発展の理論もその全てが変容する)を引き起こすことになるのか、それとも、リーマンショックの時のようなニューノーマルに終わってしまうのか、それは、今、パンデミックに直面している私達の意識に関わっているのだと思われます。ただ、余談ではありますが、ニューノーマルという言葉は適切ではないと思います。「ニュー」とはある時点にとっては新しいかも知れませんが、時間が経過して時代が進めば「ニュー」ではなくなります(モハメド・エラリアン氏はニューノーマル2.0を提唱しています)。

 私個人としては、今回のパンデミックによって社会変容が引き起こされてくると感じています。そこで、ニューノーマル2.0ではなく、『社会変容2.0 または Social Transformation2.0(以下SX2.0と略す)』と命名したいと考えています。なお、Social Transformation2.02.0は、ハメド・エラリアン氏の主張する2.0とは異なり、260年前のイギリスの産業革命に端を発する近代化がSX1.0、今後の社会変容がSX2.0となります。第四次産業革命論の第二次産業革命がSX1.1、第三次がSX1.2、第四次がSX1.3に相当します。SX1.3(第四次産業革)があったからこそ、その延長上に今回のSX2.0が起こり得ると考えています。すなわち、『社会変容 2.0』が、近代化以前の社会、近代化の社会の次にくる社会であるとしても、こうした社会変容が、今回のパンデミックによって急に芽生えたものでも、突然変異したものでもなく、テレワークなどの遠隔技術も、非接触技術も、これまで培われてきた技術であり、外出自粛や接触感染防止に対する意識の高まりをきっかけとして社会の中に浸透し始めたものと考えています。

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