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2020年5月

2020年5月16日 (土)

21世紀型の新たな社会の秩序

 公権力からの確固とした自由(自由権)を基盤として成立する社会、文化を育む豊かな社会、一人ひとりが自立し事実に基づいて判断し自律して行動できる心豊かな個人が、国を豊かにしていくものです。

 近代化を目指した20世紀の社会では、利己的に富を追い求めることが合理的であるとされ、経済格差が広がりました。そして、覇権によって権力をかざして利権を獲得しようとし、自国第一主義により既得権益を囲い込もうとすることで、世界中に紛争が巻き起こされてきました。

 21世紀の社会になった今でも、相変わらず、富を追い求める資本主義経済が先鋭化して経済格差は極端に拡大し、覇権を主張するもの、自国第一主義を主張するものの争いが絶えません。

 しかし、その一方で、人権を大切にし、多様性を重視して包摂のある社会を築いていこうという意識が次第に広がってきています。それは、20世紀の反省から学んだことでもあります。そして、新型コロナウイルスの感染拡大(パンデミック)をきっかけにして、世界中の人々の行動様式は変容し、新しい生き方が芽生えてきました。平時にあっては、新自由主義のもとで富を追い求める人達、権力を振りかざすリーダー、覇権を主張するリーダー、自国第一主義を主張するリーダー達は、パンデミック禍にあって国民の命や健康を守るということには無力であることが露呈してしまいました。むしろ、人権を第一にして、国民の生活に寄り添い、命や健康のために毅然とパンデミックに立ち向かっているリーダーが国民の信任を得られるようになってきました。

 冒頭に記した「公権力からの確固とした自由(自由権)を基盤として成立する社会、文化を育む豊かな社会、一人ひとりが自立し事実に基づいて判断し自律して行動できる心豊かな個人が、国を豊かにしていく」ことが、今、目の前に起ころうとしています。そして、21世紀型の新たな社会の秩序がつくり出されようとしています。

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2020年5月12日 (火)

ポストコロナ時代の基盤となる非接触技術

 姿の見えない新型コロナウイルスの感染の拡大により、マスクをして外出する、咳エチケットを守る、ソーシャルディスタンスを確保して行動する、密閉・密集・密接を避けるといった感染防止への意識が高まっています。厚労省の専門家会議より「新たな生活様式」も明示されました。

こうして考えてみると、街中には、タッチパネルが溢れていることに気づきます。クレジットカードの決済のために暗証番号を入力するにも、銀行ATMでお金を引出したり振込みをしたりするにも、飲み会でメニューを選択してオーダーするにも、駅で定期券を購入するにも、生活空間のいたる所にあります。指紋を使った生体認証でも、指をスキャナーに押し当てなければなりません。

 このように、生活をするためには、タッチパネルは必要なものとなっています。しかし、ウイルスの接触感染を怖れるようになると、不特定多数の誰かが触ったタッチパネルを触ることに強い抵抗感を感じるようになってきました。

 非接触ということだけを考えれば、顔認証技術の利用も考えられます。しかし、顔認証技術の普及は監視社会の強化にもつながりかねません。顔認証技術が個人情報(個人を特定できる情報、移動履歴)と結びついて強権力を求める人達に利用される可能性もあります。顔認証技術の普及には、個人情報保護の技術が確立され、悪意のある人達、あるいは、本人の意図しない目的で情報を利用しようとする人達から個人情報が確実に守られる仕組みを確立することが前提となります。

タッチパネルの代替技術としては、例えば、目(視線)で操作する方法や、マイタッチペンを使用するといった方法も考えられます。しかし、将来的には、三次元空間に映し出された仮想パネルにタッチして操作できる技術が有効と思われます。

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ポストコロナ時代の遠隔技術

 対面でなければ教育はできない、医療診断はできない、行政手続きはできない、コミュニケーションはとれない、といった平時の概念は吹き飛び、遠隔技術に馴れてうまくカバーできるようになると、いちいち対面しなければならないということは煩わしさ、不必要なコストであると感じられるようになるでしょう。

 いくつかのエッセンシャルワークを除き、人々は働く場所や時間に拘束されることもなく、遠隔地で自分の都合に合わせて働くことが習慣として身につくようにもなります。そもそも、自宅等で支給されたパソコンの前に、決められた時間に8時間張り付いていなければならないという旧態依然とした労働の概念(時間を拘束する対価とし賃金が支払われる)というテレワークの発想は人の監視につながります。それは資本の集中による大量生産の時代の発想であり、これからは、エッセンシャルワーカーやオフィスワーカーの負荷を低減するために、より一層、業務の無人化と自動化が図られ時間と場所に拘束される働き方は減少していくことになります。

 今回のパンデミックは、経済合理性のみを追求するこれまでの考え方の脆弱性を露呈させることになりました。市場原理、競争原理だけ、小さな政府による自由主義経済の考え方だけでは、パンデミックといったリスクを抱えたグローバル社会の発展を支えていくことはできません。株主至上主義ではなく、雇用を維持して事業を持続していける経営、貧困を減らしてパンデミックの拡大を防止する経営、さらに、少し広義に捉えるならば、自然環境を破壊せず共存することで環境リスクを低減させる経営といった、持続可能な社会の発展を目指す経営、社会的価値を創造するための経営を目指していかなければなりません。

 

 

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2020年5月 9日 (土)

ポストコロナ時代の社会秩序の構築

 これまで、日本では、人口減少問題(超高齢社会化、少子化、生産年齢人口比率低下)に焦点が当てられ、特に、社会保障費削減(病床数の削減、研究費の削減、感染症に対する予算の縮小)ばかりに議論が集中してきました。グローバル化してパンデミックが510年おきに発生しているという状況にあってもなお、日本は直接的な被害は少なかったため、水際作戦で防げるという他人事的で済ませられてきたという経緯もあり、感染症対策は政治の片隅に追いやられてきました。

 経済活動についても同様です。製造の低コスト化だけを追い求めてサプライチェーンを中国に集中させてきました。今回のパンデミックの当初の震源地である中国で都市が封鎖され人の活動が制限されるという事態に遭遇して、世界中のサプライチェーンは機能しなくなってしまいました。また、薬の原料にしても、医療行為に欠かせないマスクなどの物資にしても、医療機器にしても、その生産は中国に頼りきっていました。企業経営についても、90年代以降、米国流の「選択と集中」が論じられてきたため、感染症に対する製品への投資が抑えられ、いざ、国内生産の拡大が必要になっても、医療物資や医療機器の供給を、ニッチを目指してきた企業に頼らざるを得なくなっています。

 パンデミックというリスクが顕在化してしまった現在、私達日本人は、人口減少による経済成長の停滞、超高齢化による社会保障費の増大、少子化による生産年齢人口比の低下といったベースにある社会経済問題といった20世紀型経済モデルに頼るのではなく、パンデミックが起きたときの社会コストや財政支出にも持ちこたえることのできる冗長性のある新たな社会経済システムのモデルが必要になったのだと、深く認識しなければなりません。

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2020年5月 6日 (水)

これまでの生活様式は非合理性の経済でもあった

 私達は、これまでの生活様式にすっかり馴れてしまっているので、たとえ不便であるにせよ、平時において新しいやり方に変革しようという気になりません。むしろ、惰性でこれまでのやり方を続けていこうということになります。

これまでも、デジタル技術を駆使して、テレワーク、遠隔診断、ECや無人店舗、遠隔教育、ネットバンキングといった仕組みは導入されていましたが、なかなか普及しませんでした。そして、普及しないものは、改善されず使い勝手の悪いまま放置されたままになってしまいます。

 今回のパンデミックでは「新しい生活様式」への行動変容が求められています。これは「わざわざ行く」「その場所に拘束される」「時間を拘束される」という不便を解消するという変革を起こす好機でもあります。わざわざ行く必要がなくなれば公共交通機関にかかる負荷も低減され、二酸化炭素の消費も抑制されます。大勢の人が働くオフィスも小さなもので済みます。浪費される時間を減らすことができれば、より多くの時間を生産活動に振り向けることもできます。時間に追われ余裕のない日々を過ごしている現代人にとって、もっと自分の人生にとって価値のあることに時間を使えるようにもなります。

 これまでの生活様式は不便であったばかりでなく、コストや時間を無駄に費やしてばかりいたように思えます。経済合理性(高効率と低コスト)を追求していたこれまでの経済は、実は、非合理性の経済だったのではないでしょうか。

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2020年5月 5日 (火)

むしろ、不便だったこれまでの生活様式

 緊急事態宣言が531日まで延長となり、外出自粛、3密(密閉、密集、密接)を避ける、フィジカルディスタンス(ソーシャルディスタンス)を確保するという生活が続いています。緊急事態宣言の延長発令に合わせて、厚労省の専門家会議は「新しい生活様式」の具体例を示しています。

 新型コロナウイルスのパンデミック以前の生活が懐かしく、今回の急激な感染拡大が収まった後も市中の感染はダラダラと継続し、更には、第二波、第三波が想定される状況にあって、いつになったらこれまでの生活を取り戻せるのかと不安になります。

 しかし、これまでの生活は、本当に、不便のないものだったのでしょうか。サラリーマンであれば、毎日、混み合った通勤電車に乗ってわざわざ会社に行かなければなりませんでした。平日の大半を、会社や客先という場所や通勤に拘束された生活は、本当に便利なものと言えたでしょうか。体調を壊したら、休みをとってわざわざ医者に行かなければなりませんでした。診察の後には、わざわざ薬局に行って処方された薬を出してもらわなければなりませんでした。医者の待ち時間、薬局の待ち時間を合わせると、半日近くも時間を費やさなければなりませんでした。スーパーに行ってもレジ待ちに遭遇し、銀行に行っても順番待ちで延々と待たされていました。子供たちは、わざわざ学校に行かなければなりませんでした。買い物難民、医療難民、銀行難民の暮らしをしている人達にとっては、スーパーに行くにも、病院に行くにも、銀行の窓口に行くにも、交通機関を使って時間をかけて通わなければなりませんでした。

 こうして考えてみると、これまでの生活様式は、実は、とても不便を強いられていたものだったのではないでしょうか。

 

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2020年5月 4日 (月)

経済政策と疫学政策の調整だけでよいのか

 今、新型コロナウイルスの感染拡大によって国民の命が奪われ健康が脅かされています。感染防止のために緊急事態宣言が発出され国民に外出自粛が要請され行動が厳しく制限され、まず始めに観光業が、次に街中の飲食店様々なサービス業の消費が蒸発し経済が停止してしまいました。政府は国民の雇用や生活を守るために補正予算を組んで対応しようとしています。日銀も金融政策を繰り出して金融面から企業の生き残りを支えようとしています。

 一方、死の恐怖に直面しながら、人との接触80%減らす暮らしを続けている私たち市民の行動は変容しています。今回の新型コロナウイルスの感染拡大は12カ月で消滅するものではなく長期的に、かつ、第二波、第三波と断続的に押し寄せてくると予想されています。私たち市民の心にも体にも染みついた行動変容は、社会の変容につながり、パンデミック以前の姿、すなわち、元に戻ることはないでしょう。疫学的にパンデミックを抑え込んだ後の世界では、経済活動が元に戻るということはなく、行動が変容して変容した社会に相応しい在り様へと経済も発展的に変容していくことでしょう。経済政策もそうした発展的変容を踏まえたものでなければなりません。

 直近の課題として、感染防止を図るための政策が、そして、事業を維持し雇用を守る経済政策が必要であるとされています。しかし、本来は、緊急事態の後の経済再開の出口戦略を考える上で、新型コロナウイルスと共存していくポストコロナ世界がどんな社会になるかを見据えた視点が加えられていなければなりません。

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